文楽の味

織田作之助
十月興行の古靱太夫の「阿波十」を聴きに文楽座へ行ったところ、思いがけない満員で階下席は全部売切、いたしかたなく二階へ上ったが、そこでも坐る余地がなく、そんな時いつも、こっちへいらっしゃいと、どこか席を見つけてくれる唯一の頼りの宣伝部の方があいにく不在なのを悲しみながら、うろうろしているところを、案内嬢に追い立てられて、二階の右隅の照明係のうしろで立ち見した。
のっぽの一徳で、背伸びしなければ見えぬというほどではなかったが、凭れかかるものがないので、ぽかんと腕組みして栓ぬき瓢箪のような恰好で突っ立っていると、なにか不安定で仕方がなく、それに上から斜めに見ると人形の姿勢も腰がふらついているように思われ、おまけに古靱太夫の顔が全然見えない。
以前は、いつ来ても場内は閑散としていて、出演者に気の毒でならず、この国宝芸術がこんな有様ではと胸が痛み、大阪人のひとりとして悲憤の涙にくれたのだが、現金なもので、今日この頃のように満員の賑いでは、かえって見物も舞台もいやらしく俗っぽい気がして来て、不届きなことだが、以前の寂寥がなつかしく思われた。
恐らくこれは何によらず人気だとか名声だとかいうものに対するひとびとの雷同性を、かねがねひそかに反撥している私の厄介な魂のせいであろうけれども、ひとつには、時代に取り残されて、やがては亡びて行くのではないかと危まれたこの古典芸術への郷愁からではあるまいか。文楽のあえかな美しきの中に、私は落日の最後の明りの美しさを見ていたのである。それに、津、土佐、駒の太夫が相ついでたおれ去り、人形遣いの後継者も得がたいという状態である。
けれど、国力伸長の秋に、このような感傷は不吉であろう。栄三、文五郎健在であり、古靱はますます円熟しているではないか。
私は津太夫が好きであった。ぱっとした華やかさがなく、いざ語らんという構えもなかったが、誰やらが文壇の徳田秋声に擬していたように、語り行き、聴き行くにつれて、語る人、聴く人ともに渾然とした境地の中へ吸いこまれて行く芸は、またと得がたいものであった。が、この人なきあと、やはり古靱はただ一人のひとである。顔は見えなかったが、しみじみ聴けば、さすがに古靱の「阿波十」は逸品である。いつもながらの、まくらの感情移入の巧みさ、圧えに圧えた抒情。御詠歌の静かな盛り上り、サワリの渋さ。
人形も良かった。上から斜めに見ても、さすがに栄三、文五郎であった。栄三の計算しつくした正確無比な意識的演出、文五郎の天衣無縫の無意識的演出、いずれを是とし、いずれを非とすべき筋合のものではなく、ひとそれぞれの好みによるかと思われる。
批評家はしばしば栄三に軍配をあげるだろうが、そしてそれは妥当であろうが、しかし、私の好みからいうと、その日その日の気分で演出の変る文五郎の即興的な芸が好きである。ほんの一秒か二秒、あっと息をのむような美しい線をちらと見せたとたん、もうはかなく崩れて、ひとびとの注意を外らしてしまうこの憎らしいばかりのあえかな瞬間を、明日も文五郎は見せるだろうか、見せるとすればサワリのどの個所で見せるだろうかと想像するほど、なやましく愉しいものはまたとない。 ちかごろ出た「文楽」(筑摩書房)という写真集は、近来まれに見る豪華な美しい本であるが、そこに収められたかずかずの写真もやはりこの美しい瞬間を充分捉えているとはいいがたい。この点は、映画の「浪花女」も同様である。この写真集の終りの方には、文楽に関するさまざまなエッセイが輯められているが、結局栄三、文五郎、紋十郎等の芸談速記が唯一の見るべきもので、ハーゲマンやクローデル等異人の文楽論の翻訳など載せているのは、何か余計なおせっかいのように思われる。異人に文楽の見方を教えられなくとも、黙って虚心坦懐に見物して居れば、すくなくとも私たち大阪人には、昆布の味のように噛みしめれば、しみじみその良さが判る筈である。
私を邪険に扱った案内嬢も、いつか文五郎のサワリにひきこまれていたのか、「阿波十」の幕がおりると、「文五郎はんのサワリはいつ見てもよろしおまんな」とどこかの婆さんをつかまえて、言っていた。婆さんは、「ああ、もう古靱はんの阿波十きかしてもろたら、何もいりまへん。おおきにごっとはんでした」と御馳走になったような挨拶をしていた。こういう人達の感想談を速記して、のせた方が、異人の文楽論をのせるより、どれだけ気が利いているかも知れない。