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旅の本(再録) 知的生産の技術

 旅の本として、部屋の模様替え前に読むインテリアデザインの本など、日常生活を離れた場所(旅行先)で読むことに向いた本がある。何かを変える時、日常生活を送りながらではこまごまとした部分が目に付いてしまい思い切った思考ができない。旅行先ならば日常の記憶も薄れてゼロベースに近い状態で物事を考えることが出来る。同じ理由から、情報管理について書かれた本も旅の本に向いている。
 今回、紹介する『知的生産の技術』は、いわゆる「京大式情報カード」の生みの親 梅棹忠夫氏による情報管理についての本で名著の誉れが高い。いまだに図書館などで京大式カードを操る研究者を目にすることもあるが、コンピュータがコモディティ化した現在、手書きのカードによる情報管理は、いかにも枯れた技術との印象を受けるかもしれない。この本について京大式カードの解説本として紹介されることもあるが、本書が言及する範囲は幅広く、情報カードはそのごく一部にすぎない。本書をつらぬく梅棹氏の合理的思考法は現代においても、読者に強いインスピレーションを与えるものになっている。
 例えば、『検索』全盛時代の現代にあって、『情報カードをくりかえしくること』の大切さを説く著者の主張には新鮮さが感じられる。
 ウェブが発達した現在、この『くる』(情報カードなどを順にめくっていくこと[繰る]とも)ということは、忘れられつつある知的作業の一つなのではないだろうか。例えば、CDショップに行けば、何百、何千のアルバムジャケットをくりながら、欲しいCDを探す。ウェブの申し子 アマゾン(http://www.amazon.com/)でCDを買う場合、この『くる』という作業は、『検索』(能動的、受動的を問わず)に置き換えられてしまう。CDジャケットをくりながら自分の頭の中で「どのような知的作業が行われているか?」それが「価値あることなのか?」について、私は何の材料も持ち合わせていないが、私には『くる』という作業は何かの萌芽につながるものの一つと思える(結果的に、ただの衝動買いと買うだけで聞かないCDを大量に生みだすことであっても)。
 以前、『検索』(OPAC)によって世界中の図書館から「図書カード」が消えていくことを嘆くエッセイを読んだ。もともとコンデナストの雑誌『ニューヨーカー』に載ったものだったと思うが、「図書カード」がなくなることによって、『「図書カード」をくる』という知的作業が失われることを問題視していたように思う。
 ハードディスクに「垂直磁気記録方式」を提案し、記憶容量の高密度化に導いた岩崎俊一氏は、「人の一生の情報が1枚のディスクに入る時代が、もうすぐ来る(毎日新聞 平成22年1月29日朝刊)。」と予見する(この『人の一生の情報』とは、書類や断片的な記録といった意味ではない。15年前、ビル・ゲイツが予告した『詳細に記録された人生』つまり、生まれてから死ぬまで人が肉眼で見たもの全てのビデオ映像を記録することが可能な時代がやってくるという意味である。(注1))。
 今後、検索ではない情報の処理方法こそが必要とされてくるのではないだろうか、自分を取り巻く膨大な情報の中から『くりかえしくること』のできるボリュームの情報を取り出すこと。そして、それを『くる』ということが失いつつある自分を取り巻く情報のコントロールを取り返すことにつながる一つの可能性かもしれない。

 ところで、本書は、情報管理という視点を離れ読み物としても楽しめる。読み物としては、後半部分の方が面白い。特に、「自分ではかけないのに、美的感覚だけがするどくなるという…悲劇」から、全ての手紙を英文タイプライターで打ち日本語のローマ字書きで書き送っていたというアバンギャルドさは爽快ですらある。
 この梅棹氏のアバンギャルドさは、ご本人より第三者によって書かれたものの方がより強烈である。『旅』に関連するエピソードでいえば
例えば、

 国立民族学博物館の先生の資料室を見せていただいたときのことだ。広々とした資料室には、それまで先生が書き留めてきた京大式カードが、図書館の分類カードのケースのように、ぎっしりと収められている。その一つのケースを引き出し、私は唖然とした。数十枚のカードには、すべてパリのホテルのトイレットペーパーが貼り付けてあったのである。
 なんで、こんなものを-。トイレットペーパーなど収集したところで意味はないと思った。しかし、いわゆるハトロン紙や、粗末な藁半紙のようなトイレットペーパーが貼り付けられていたカードの日付を見て、ため息が出た。数十年の間、パリを訪れるたびにホテルのトイレで引きちぎり、京大式カードに貼り付けてきた多くのトイレットペーパーは、フランスの製紙技術の変化を見事に反映していたのである。

『知的 パソコン生活のすすめ』中野不二男(注2)

 「フランスの製紙技術」うんぬんではなく、本当のところ、中野氏の直感「トイレットペーパーなど収集したところで意味はないと思った。」が正解のような気もする。梅棹氏が「トイレットペーパーを収集する」理由もこの『知的生産の技術』を読めば明白になる(ヒント 「ダ・ヴィンチ」)。
 この本を読んで、泊まったホテルのトイレットペーパーを待ち帰りファイルすることをすすめるつもりも、京大式カードの使用もすすめるつもりもないが、新書版でサイズも小さいこの本を一冊旅にもって行くのはおすすめできる。

注1
 じきに人間の声を一秒あたり数千ビットのデジタル情報に圧縮することが可能になるだろう。ということは、一時間の会話なら約一メガバイトのデジタルデータに変換できる。ハードディスクのバックアップに使われる小さなテープには、すでに十ギガバイト以上のデータを保存できるようになっているから、約一万時間分の音声を圧縮して記録できるわけだ。新世代のデジタルビデオデッキ用のテープは百ギガバイト以上の容量になるだろうから、数ドルのテープ一本で、ひとりの人間の十年分以上の会話が記録できる。ひょっとしたら-その人がどのくらいおしゃべりかにもよるけれど-一生分だって録音できるかもしれない。いま挙げた数字は現時点での性能に基づいたもので、将来の記録媒体はもっと安価になる。音声は簡単だということでもあるが、数年以内には完璧なビデオ画像の記録も可能になるだろう。
 詳細に記録された人生…

『ビル・ゲイツ 未来を語る』ビル・ゲイツ著 西和彦訳 株式会社アスキー 1995年

注2
『知的 パソコン生活のすすめ』中野不二男 「Yomiuri PC」読売新聞東京本社 2008年2月号 45ページ

知的生産の技術 目次

  • まえがき
  • はじめに
    学校はおしえすぎる/やりかたはおしえない/技術の不足と研究能力/技術ぎらい/知的生産とは/情報産業の時代/生活の技術として/現代人の実践的素養/物質的条件の変化/個人の知的武装/この本のねがい
  • 1 発見の手帳
    ダ・ヴィンチの手帳/わかき「天才」たち/発見の手帳/文章でかく/有効な素材蓄積法/発見をとらえる/手帳の構造/一ページ一項目/索引をつくる
  • 2 ノートからカードへ
    直輸入の伝統/天皇のノート/ノートの進化/ノートからカードへ/野帳/野外調査法とカード/現地でカードをつくる/兵同研究/京大型カード
  • 3 カードとそのつかいかた
    カードのおおきさ/紙質と印刷/もってあるく/わすれるためにかく/一枚一項目/分類が目的ではない/歴史の現在化/有限への恐怖/カードへの批判
  • 4 きりぬきと規格化
    はじめてのきりぬき/スクラップ・ブック/台紙にはる/しわけ棚からオープン・ファイルへ/資料を規格化する/先輩のおしえ/むつかしい写真整理/市販品と規格化/規格品ぎらい
  • 5 整理と事務
    本居宣長の話/整理と整頓/おき場所の体系化/整理法の模索史/パーキンス先生のこと/垂直式ファイリング/分類項目をどうするか/キャビネット・ファイル/家庭の事務革命/空間の配置をきめる/事務近代化と機械化/秩序としずけさ
  • 6 読書
    よむ技術/よむこととたペること/本ずきのよみべた/「よんだ」と「みた」/確認記録と読書カード/読書の履歴書/一気によむ/傍線をひく/読書ノート/本は二どよむ/本は二重によむ/創造的読書/引用について
  • 7 ペンからタイプライターへ
    日本語を「かく」/筆墨評論/鉛筆から万年筆へ/かき文字の美学と倫理学/タイプライターのつかいはじめ/手がきをはなれて/ローマ字論の伝統/ことばえらびとわかちがき/文字革命のこころみ/きえた新字論/ローマ字からカナモジへ/カナモジ論の系譜/カナモジ・タイプライター/カナモジへの抵抗/ひらかなだけでかく/ひらかなタイプライター/改良すべき間題点
  • 8 手紙
    情報交換の技術/手紙形式の収れんと放散/形式の崩壊/手紙ぎらい/形式再建のために/あたらしい技法の開発/タイプライターがきの手紙/まちがいなくきれいに/手紙のコピー/住所録は成長する/アドレス・カード
  • 9 日記と記録
    自分という他人との文通/魂の記録と経験の記録/自分のための業務報告/バラ紙にかく日記/日記をかんがえなおす/日記と記録のあいだ/記憶せずに記録する/メモるしつけ/野帳の日常化/カードにかく日記/個人文書館
  • 10 原稿
    他人のためにかく/訓練の欠如/印刷工事の設計図/出版・印刷関係者の責任/ルールは確立しているか/原稿は原稿用紙にかく/原稿用紙/原稿から印刷へ/わかちがきと原稿/印刷技術をかえる/清書はいらない/かならずコピーする
  • 11 文章
    失文症/行動家の文章ぎらい/才能より訓練/かんがえをまとめる/こざね法/ばらばらの資料をつなげる/発想の体系的技術/みじかくわかりやすく/用字・用語の常識/日本語は非論理的か/文章技術の両極/国語教育の問題
  • おわりに
    技術の体系化をめざして/情報時代のあたらしい教育

平成22(2010)年1月

旅の本 バックナンバー

表紙 No image

bookデータ
知的生産の技術
梅棹忠夫 著
岩波書店
岩波新書(青版)722
定価 740円税別
ISBN 4-00-415093-0