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はしれめろす

だざいおさむ

 めろすはげきどした。かならず、かのじゃちぼうぎゃくのおうをのぞかなければならぬとけついした。めろすにはせいじがわからぬ。めろすは、むらのまきびとである。ふえをふき、ひつじとあそんでくらしてきた。けれどもじゃあくにたいしては、ひといちばいにびんかんであつた。きょうみめいめろすはむらをしゅっぱつし、のをこえやまこえ、10りはなれたこのしらくすのいちにやつてきた。めろすにはちちも、ははもない。にょうぼもない。16の、うちきないもうととふたりぐらしだ。このいもうとは、むらのあるりちぎないちまきびとを、ちかぢか、はなむことしてむかへることになつていた。けっこんしきもまじかなのである。めろすは、それゆえ、はなよめのいしょうやらしゅくえんのごちそうやらをかいに、はるばるいちにやつてきたのだ。まづ、そのしなじなをかいあつめ、それからみやこのおおじをぶらぶらあるいた。めろすにはちくばのともがあつた。せりぬんていうすである。いまはこののしらくすのいちで、いしくをしている。そのともを、これからたずねてみるつもりなのだ。ひさしくあはなかつたのだから、たずねていくのがたのしみである。あるいているうちにめろすは、まちのようすをあやしくおもつた。ひつそりしている。もうすでにひもおちて、まちのくらいのはあたりまへだが、けれども、なんだか、よるのせいばかりではなく、しぜんたいが、やけにさびしい。のんきなめろすも、だんだんふあんになつてきた。みちであつたわかいしゅうをつかまへて、なにかあつたのか、2ねんまへにこのしにきたときは、よるでもみながうたをうたつて、まちはにぎやかであつたはずだが、としつもんした。わかいしゅうは、くびをふつてこたへなかつた。しばらくあるいてろうやにあひ、こんどはもつと、ごせいをつよくしてしつもんした。ろうやはこたへなかつた。めろすはりょうてでろうやのからだをゆすぶつてしつもんをかさねた。ろうやは、あたりをはばかるていせいで、わずかこたへた。
「おうさまは、ひとをころします。」
「なぜころすのだ。」
「あくしんをいだいている、というのですが、だれもそんな、あくしんをもつてはおりませぬ。」
「たくさんのひとをころしたのか。」
「はい、はじめはおうさまのいもうとむこさまを。それから、ごじしんのおよつぎを。それから、いもうとさまを。それから、いもうとさまのみこさまを。それから、こうごうさまを。それから、けんしんのあれきすさまを。」
「おどろいた。こくおうはらんしんか。」
「いいえ、らんしんではございませぬ。ひとを、しんずることができぬ、というのです。このごろは、しんかのこころをも、おうたがひになり、すこしくはでなくらしをしているものには、ひとじちひとりづつさしだすことをめいじております。ごめいれいをこばめばじゅうじかにかけられて、ころされます。きょうは、6にんころされました。」
 きいて、めろすはげきどした。「あきれたおうだ。いかしておけぬ。」
 めろすは、たんじゅんなおとこであつた。かいものを、せおつたままで、のそのそおうじょうにはひつていつた。たちまちかれは、じゅんらのけいりにほばくされた。しらべられて、めろすのかいちゅうからはたんけんがでてきたので、さわぎがおおきくなつてしまつた。めろすは、おうのまえにひきだされた。
「このたんとうでなにをするつもりであつたか。いへ!」ぼうくんでいおにすはしずかに、けれどもいげんをもってとひつめた。そのおうのかおはそうはくで、みけんのしわは、きざみこまれたやうにふかかつた。
「しをぼうくんのてからすくふのだ。」とめろすはわるびれずにこたへた。
「おまへがか?」おうは、びんしょうした。「しかたのないやつぢや。おまへには、わしのこどくがわからぬ。」
「いうな!」とめろすは、いきりたつてはんばくした。「ひとのこころをうたがふのは、もっともはづべきあくとくだ。おうは、たみのちゅうせいをさへうたがつておられる。」
「うたがふのが、せいとうのこころがまへなのだと、わしにおしへてくれたのは、おまへたちだ。ひとのこころは、あてにならない。にんげんは、もともとわたしよくのかたまりさ。しんじては、ならぬ。」ぼうくんはおちついてつぶやき、ほつとためいきをついた。「わしだつて、へいわをのぞんでいるのだが。」
「なんのためのへいわだ。じぶんのちいをまもるためか。」こんどはめろすがちょうしょうした。「つみのないひとをころして、なにがへいわだ。」
「だまれ、げせんのもの。」おうは、さつとかおをあげてむくいた。「くちでは、どんなきよらかなことでもいへる。わしには、ひとのはらわたのおくそこがみえすいてならぬ。おまへだつて、いまに、はりつけになつてから、ないてわびたつてきかぬぞ。」
「ああ、おうはりこうだ。うぬぼれているがよい。わたしは、ちやんとしぬるかくごでいるのに。いのちごひなどけっしてしない。ただ、−」といひかけて、めろすはあしもとにしせんをおとししゅんじためらひ、「ただ、わたしにじょうをかけたいつもりなら、しょけいまでにみっかかんのにちげんをあたへてください。たつたひとりのいもうとに、ていしゅをもたせてやりたいのです。みっかのうちに、わたしはむらでけっこんしきをあげさせ、かならず、ここへかえつてきます。」
「ばかな。」とぼうくんは、しゃがれたこえでひくわらつた。「とんでもないうそをいうわい。にがしたことりがかえつてくるというのか。」
「さうです。かえつてくるのです。」めろすはひっしでいひはつた。「わたしはやくそくをまもります。わたしを、みっかかんだけゆるしてください。いもうとが、わたしのかえりをまつているのだ。そんなにわたしをしんじられないならば、よろしい、このしにせりぬんていうすといういしくがいます。わたしのむにのゆうじんだ。あれを、ひとじちとしてここにおいていかう。わたしがにげてしまつて、みっかめのひぐれまで、ここにかえつてこなかつたら、あのゆじんをしめころしてください。たのむ。さうしてください。」
 それをきいておうは、ざんぎゃくなきもちで、そつとほくそえんだ。なまいきなことをいうわい。どうせかえつてこないにきまつている。このうそつきにだまされたふりして、はなしてやるのもおもしろい。さうしてみがわりのおとこを、みっかめにころしてやるのもきみがいい。ひとは、これだからしんじられぬと、わしはかなしいかおして、そのみがわりのおとこをはりつけけいにしょしてやるのだ。よのなかの、しょうじきものとかいうやつらにうんとみせつけてやりたいものさ。
「ながひを、きいた。そのみがわりをよぶがよい。みっかめにはにちぼつまでにかえつてこい。おくれたら、そのみがわりを、きつところすぞ。ちよつとおくれてくるがいい。おまへのつみは、えいえんにゆるしてやらうぞ。」
「なに、なにをおつしやる。」
「はは。いのちがだいじだつたら、おくれてこい。おまへのこころは、わかつているぞ。」
 めろすはくちおしく、じたんだふんだ。ものもいひたくなくなつた。
 ちくばのとも、せりぬんていうすは、しんや、おうじょうにめされた。ぼうくんでいおにすのめんぜんで、よきともとよきともは、2ねんぶりでそうおうた。めろすは、ともにいっさいのじじょうをかたつた。せりぬんていうすはむごんでうなずき、めろすをひしとだききしめた。ともととものあいだは、それでよかつた。せりぬんていうすは、なわうたれた。めろすは、すぐにしゅっぱつした。しょか、まんてんのほしである。
 めろすはそのよ、いっすいもせず10りのみちをいそぎにいそいで、むらへとうちゃくしたのは、あくるひのごぜん、ひはすでにたかくのぼつて、むらびとたちはのにでてしごとをはじめていた。めろすの16のいもうとも、きょうはあにのかわりにひつじむれのばんをしていた。よろめいてあるいてくるあにの、ひろうこんぱいのすがたをみつけておどろいた。さうして、うるさくあににしつもんをあびせた。
「なんでもない。」めろすはむりにわらはうとつとめた。「しにようじをのこしてきた。またすぐしにいかなければならぬ。あす、おまへのけっこんしきをあげる。はやいはうがよからう。」
 いもうとはほほをあからめた。
「うれしいか。きれいないしょうもかつてきた。さあ、これからいつて、むらのひとたちにしらせてこい。けっこんしきは、あすだと。」
 めろすは、また、よろよろとあるきだし、いえへかえつてかみがみのさいだんをかざり、しゅくえんのせきをととのへ、まもなくとこにたおれふし、こきゅうもせぬくらいのふかいねむりにおちてしまつた。
 めがさめたのはよるだつた。めろすはおきてすぐ、はなむこのいえをおとずれた。さうして、すこしじじょうがあるから、けっこんしきをあすにしてくれ、とたのんだ。むこのまきびとはおどろき、それはいけない、こちらにはいまだなんのしたくもできていない、ぶどうのきせつまでまつてくれ、とこたへた。めろすは、まつことはできぬ、どうかあすにしてくれたまへ、とさらにおしてたのんだ。むこのまきびともがんきょうであつた。なかなかしょうだくしてくれない。よあけまでぎろんをつづけて、やつと、どうにかむこをなだめ、すかして、ときふせた。けっこんしきは、まひるに行はれた。しんろうしんぷの、かみがみへのせんせいがすんだころ、こくうんがそらをおおひ、ぽつりぽつりあめがふりだし、やがてしゃじくをながすやうなおおあめとなつた。しゅくえんにれっせきしていたむらびとたちは、なにかふきつなものをかんじたが、それでも、めいめいきもちをひきたて、せまいいえのなかで、むんむんむしあついのもこらへ、ようきにうたをうたひ、てをうつた。めろすも、まんめんにきしょくをたたへ、しばらくは、おうとのあのやくそくをさへわすれていた。しゅくえんは、よるにはいつていよいよみだれはなやかになり、ひとびとは、そとのごううをまったくきにしなくなつた。めろすは、いっしょうこのままここにいたい、とおもつた。このよいひとたちとしょうがいくらしていきたいとねがつたが、いまは、じぶんのからだで、じぶんのものではない。ままならぬことである。めろすは、わがみにむちうち、つひにしゅっぱつをけついした。あすのにちぼつまでには、まだじゅうぶんのときがある。ちよつとひとねむりして、それからすぐにしゅっぱつしよう、とかんがへた。そのころには、あめもこぶりになつていよう。すこしでもながくこのいえにぐずぐずとどまつていたかつた。めろすほどのおとこにも、やはりみれんのじょうというものはある。こよいぼうぜん、かんきによつているらしいはなよめにちかより、
「おめでたう。わたしはつかれてしまつたから、ちよつとごめんかうむつてねむりたい。めがさめたら、すぐにしにでかける。たいせつなようじがあるのだ。わたしがいなくても、もうおまへにはやさしいていしゅがあるのだから、けっしてさびしいことはない。おまへのあにの、いちばんきらひなものは、ひとをうたがふことと、それから、うそをつくことだ。おまへも、それは、しつているね。ていしゅとのあいだに、どんなひみつでもつくつてはならぬ。おまへにいひたいのは、それだけだ。おまへのあには、たぶんえらいおとこなのだから、おまへもそのほこりをもつていろ。」
 はなよめは、ゆめみごこちでうなずいた。めろすは、それからはなむこのかたをたたいて、
「したくのないのはおたがひさまさ。わたしのいえにも、たからといつては、いもうととひつじだけだ。ほかには、なにもない。ぜんぶあげよう。もうひとつ、めろすのおとうとになつたことをほこつてくれ。」
 はなむこはもみてして、てれていた。めろすはわらつてむらびとたちにもえしゃくして、えんせきからたちさり、ひつじごやにもぐりこんで、しんだやうにふかくねむつた。
 めがさめたのはあくるひのはくめいのころである。めろすははねおき、なむさん、ねすごしたか、いや、まだまだだいじょうぶ、これからすぐにしゅっぱつすれば、やくそくのこくげんまでにはじゅうぶんまにあふ。きょうはぜひとも、あのおうに、ひとのしんじつのそんするところをみせてやらう。さうしてわらつてはりつけのだいにあがつてやる。めろすは、ゆうゆうとみじたくをはじめた。あめも、いくぶんこぶりになつているようすである。みじたくはできた。さて、めろすは、ぶるんとりょううでをおおきくふつて、うちゅう、やのごとくはしりでた。
 わたしは、こよい、ころされる。ころされるためにはしるのだ。みがわりのともをすくふためにはしるのだ。おうのかんねいじゃちをうちやぶるためにはしるのだ。はしらなければならぬ。さうして、わたしはころされる。わかいときからめいよをまもれ。さらば、ふるさと。わかいめろすは、つらかつた。いくどか、たちどまりさうになつた。えい、えいとおおごえあげてじしんをしかりながらはしつた。むらをでて、のをよこぎり、もりをくぐりぬけ、となりむらについたころには、あめもやみ、ひはたかくのぼつて、そろそろあつくなつてきた。めろすはひたいのあせをこぶしではらひ、ここまでくればだいじょうぶ、もはやこきょうへのみれんはない。いもうとたちは、きつとよいううふになるだらう。わたしには、いま、なんのきがかりもないはずだ。まつすぐにおうじょうにいきつけば、それでよいのだ。そんなにいそぐひつようもない。ゆつくりあるかう、ともちまへののんきさをとりかえし、すきなこうたをいいこえでうたひだした。ぶらぶらあるいて2りいき3りいき、そろそろぜんりていのはんばにとうたつしたころ、ふつてわいたさいなん、めろすのあしは、はたと、とまつた。みよ、ぜんぽうのかわを。きのふのごううでやまのすいげんちははんらんし、だくりゅうとうとうとかりゅうにあつまり、もうせいいっきょにはしをはかいし、どうどうとひびきをあげるげきりゅうが、こっぱみじんにはしげたをはねとばしていた。かれはぼうぜんと、たちすくんだ。あちこちとながめまはし、また、こえをかぎりによびたててみたが、けいせんはのこらずなみにさらはれてかげなく、わたりまもりのすがたもみえない。ながれはいよいよ、ふくれあがり、うみのやうになつている。めろすはかわぎしにうずくまり、おとこなきになきながらぜうすにてをあげてあいがんした。「ああ、しずめたまへ、あれくるふながれを!ときはこくこくにすぎていきます。たいようもすでにまひるどきです。あれがしずんでしまはぬうちに、おうじょうにいきつくことができなかつたら、あのよいともだちが、わたしのためにしぬのです。」
 だくりゅうは、めろすのさけびをせせらわらふごとく、ますますはげしくおどりくるふ。なみはなみをのみ、まき、あおりたて、さうしてときは、こくいっこくときえていく。いまはめろすもかくごした。およぎきるよりほかにない。ああ、かみがみもしょうらんあれ!だくりゅうにもまけぬあいとまことのいだいなちからを、いまこそはっきしてみせる。めろすは、ざんぶとながれにとびこみ、100ぴきのだいじゃのやうにのたうちあれくるふなみをあいてに、ひっしのとうそうをかいしした。まんしんのちからをうでにこめて、おしよせうずまきひきずるながれを、なんのこれしきとかきわけかきわけ、めくらめつぽふししふんじんのひとのこのすがたには、かみもあわれとおもつたか、つひにれんびんをたれてくれた。おしながされつつも、みごと、たいがんのじゅもくのみきに、すがりつくことができたのである。ありがたい。めろすはうまのやうにおおきなどうぶるひをひとつして、すぐにまたさきをいそいだ。いっこくといへとも、むだにはできない。ひはすでににしにかたむきかけている。ぜいぜいあらいこきゅうをしながらとうげをのぼり、のぼりきつて、ほつとしたとき、とつぜん、めのまえにいったいのさんぞくがおどりでた。
「まて。」
「なにをするのだ。わたしはひのしずまぬうちにおうじょうへいかなければならぬ。はなせ。」
「どつこいはなさぬ。もちものぜんぶをおいていけ。」
「わたしにはいのちのほかにはなにもない。その、たつたひとつのいのちも、これからおうにくれてやるのだ。」
「その、いのちがほしいのだ。」
「さては、おうのめいれいで、ここでわたしをまちぶせしていたのだな。」
 さんぞくたちは、ものもいはずいっせいにこんぼうをふりあげた。めろすはひょいと、からだをおりまげ、あすかのごとくみじかのひとりにおそひかかり、そのこんぼうをうばひとつて、
「きのどくだがせいぎのためだ!」ともうぜんいちげき、たちまち、3にんをなぐりたおし、のこるもののひるむすきに、さつさとはしつてとうげをくだつた。いっきにとうげをかけおりたが、さすがにひろうし、おりからごごのしゃくねつのたいようがまともに、かつとてつてきて、めろすはいくどとなくめまいをかんじ、これではならぬ、ときをとりなおしては、よろよろ2、3ぽあるいて、つひに、がくりとひざをおつた。たちあがることができぬのだ。てんをあおいで、くやしなきになきだした。ああ、あ、だくりゅうをおよぎきり、さんぞくを3にんもうちたおしいだてん、ここまでとっぱしてきためろすよ。しんのゆうしゃ、めろすよ。いま、ここで、つかれきつてうごけなくなるとはなさけない。あいするともは、おまへをしんじたばかりに、やがてころされなければならぬ。おまへは、きだいのふしんのにんげん、まさしくおうのおもふつぼだぞ、とじぶんをしかつてみるのだが、ぜんしんなえて、もはやいもむしほどにもぜんしんかなはぬ。ろぼうのそうげんにごろりとねころがった。しんたいひろうすれば、せいしんもともにやられる。もう、どうでもいいという、ゆうしゃにふにあひなふてくされたこんじょうが、こころのすみにすくつた。わたしは、これほどどりょくしたのだ。やくそくをやぶるこころは、みぢんもなかつた。かみもしょうらん、わたしはせいいっぱいにつとめてきたのだ。うごけなくなるまではしつてきたのだ。わたしはふしんのとではない。ああ、できることならわたしのむねをたちわつて、しんくのしんぞうをおめにかけたい。あいとしんじつのけつえきだけでうごいているこのしんぞうをみせてやりたい。けれどもわたしは、このだいじなときに、せおもこんもつきたのだ。わたしは、よくよくふこうなおとこだ。わたしは、きつとわらはれる。わたしのいっかもわらはれる。わたしはともをあざむいた。ちゅうとでたおれるのは、はじめからなにもしないのとおなじことだ。ああ、もう、どうでもいい。これが、わたしのさだまつたうんめいなのかもしれない。せりぬんていうすよ、ゆるしてくれ。きみは、いつでもわたしをしんじた。わたしもきみを、あざむかなかつた。わたしたちは、ほんとうによいともとともであつたのだ。いちどだつて、くらいぎわくのくもを、おたがひむねにやどしたことはなかつた。いまだつて、きみはわたしをむしんにまつているだらう。ああ、まつているだらう。ありがたう、せりぬんていうす。よくもわたしをしんじてくれた。それをおもへば、たまらない。ともととものあいだのしんじつは、このよでいちばんほこるべきたからなのだからな。せりぬんていうす、わたしははしつたのだ。きみをあざむくつもりは、みぢんもなかつた。しんじてくれ! わたしはいそぎにいそいでここまできたのだ。だくりゅうをとっぱした。さんぞくのかこみからも、するりとぬけていっきにとうげをかけおりてきたのだ。わたしだから、できたのだよ。ああ、このうえ、わたしにのぞみたもふな。ほつておいてくれ。どうでも、いいのだ。わたしはまけたのだ。だらしがない。わらつてくれ。おうはわたしに、ちよつとおくれてこい、とみみうちした。おくれたら、みがわりをころして、わたしをたすけてくれるとやくそくした。わたしはおうのひれつをにくんだ。けれども、いまになってみると、わたしはおうのいうままになつている。わたしは、おくれていくだらう。おうは、ひとりがてんしてわたしをわらひ、さうしてこともなくわたしをほうめんするだらう。さうなつたら、わたしは、しぬよりつらい。わたしは、えいえんにうらぎりものだ。ちじょうでもっとも、ふめいよのじんしゅだ。せりぬんていうすよ、わたしもしぬぞ。きみといっしょにしなせてくれ。きみだけはわたしをしんじてくれるにちがひない。いや、それもわたしの、ひとりよがりか? ああ、もういつそ、あくとくものとしていきのびてやらうか。むらにはわたしのいえがある。ひつじもいる。いもうとふうふは、まさかわたしをむらからおひだすやうなことはしないだらう。せいぎだの、しんじつだの、あいだの、かんがへてみれば、くだらない。ひとをころしてじぶんがいきる。それがにんげんせかいのじょうほうではなかつたか。ああ、なにもかも、ばかばかしい。わたしは、みにくいうらぎりものだ。どうとも、かってにするがよい。やんぬるかな。−ししをなげだして、うとうと、まどろんでしまつた。
 ふとみみに、せんせん、みずのながれるおとがきこえた。そつとあたまをもたげ、いきをのんでみみをすました。すぐあしもとで、みずがながれているらしい。よろよろおきあがつて、みると、いわのさけめからこんこんと、なにかちいさくささやきながらしみずがわきでているのである。そのいずみにすひこまれるやうにめろすはみをかがめた。みずをりょうてですくつて、ひとくちのんだ。ほうとながいためいきがでて、ゆめからさめたやうなきがした。あるける。いかう。にくたいのひへいかいふくとともに、わづかながらきぼうがうまれた。ぎむすいこうのきぼうである。わがみをころして、めいよをまもるきぼうである。しゃようはあかいひかりを、ききのはにとうじ、はもえだももえるばかりにかがやいている。にちぼつまでには、まだまがある。わたしを、まつているひとがあるのだ。すこしもうたがはず、しずかにきたいしてくれているひとがあるのだ。わたしは、しんじられている。わたしのいのちなぞは、もんだいではない。しんでおわび、などときのいいことはいつておられぬ。わたしは、しんらいにむくいなければならぬ。いまはただそのいちじだ。はしれ!めろす。
 わたしはしんらいされている。わたしはしんらいされている。せんこくの、あのあくまのささやきは、あれはゆめだ。わるいゆめだ。わすれてしまへ。ごぞうがつかれているときは、ふいとあんなわるいゆめをみるものだ。めろす、おまへのはじではない。やはり、おまへはしんのゆうしゃだ。ふたたびたつてはしれるやうになつたではないか。ありがたい!わたしは、せいぎのしとしてしぬことができるぞ。ああ、ひがしずむ。ずんずんしずむ。まつてくれ、ぜうすよ。わたしはうまれたときからしょうじきなおとこであつた。しょうじきなおとこのままにしてしなせてください。
 みちゆくひとをおしのけ、はねとばし、めろすはくろいかぜのやうにはしつた。のはらでしゅえんの、そのえんせきのまっただなかをかけぬけ、しゅえんのひとたちをぎょうてんさせ、いぬをけとばし、おがわをとびこえ、すこしつつしずんでゆくたいようの、10ばいもはやくはしつた。いちだんのたびびととさつとすれちがつたしゅんかん、ふきつなかいわをこみみにはさんだ。
「いまごろは、あのおとこも、はりつけにかかつているよ。」ああ、そのおとこ、そのおとこのためにわたしは、いまこんなにはしつているのだ。そのおとこをしなせてはならない。いそげ、めろす。おくれてはならぬ。あいとまことのちからを、いまこそしらせてやるがよい。ふうていなんかは、どうでもいい。めろすは、いまは、ほとんどぜんらたいであつた。こきゅうもできず、2ど、3ど、くちからちがふきでた。みえる。はるかむこふにちいさく、しらくすのしのとうろうがみえる。とうろうは、ゆうひをうけてきらきらひかつている。
「ああ、めろすさま。」うめくやうなこえが、かぜとともにきこえた。
「だれだ。」めろすははしりながらたずねた。 「ふいろすとらとすでございます。あなたのおともだちせりぬんていうすさまのでしでございます。」そのわかいいしくも、めろすのあとについてはしりながらさけんだ。「もう、だめでございます。むだでございます。はしるのは、やめてください。もう、あのかたをおたすけになることはできません。」
「いや、まだひはしずまぬ。」
「ちやうどいま、あのかたがしけいになるところです。ああ、あなたはおそかつた。おうらみもうします。ほんのすこし、もうちよつとでも、はやかつたなら!」
「いや、まだひはしずまぬ。」 めろすはむねのはりさけるおもひで、あかくおおきいゆうひばかりをみつめていた。
はしるよりほかはない。
「やめてください。はしるのは、やめてください。いまはごじぶんのおいのちがだいじです。あのかたは、あなたをしんじておりました。けいじょうにひきだされても、へいきでいました。おうさまが、さんざんあのかたをからかつても、めろすはきます、とだけこたへ、つよいしんねんをもちつづけているようすでございました。」
「それだから、はしるのだ。しんじられているからはしるのだ。まにあふ、まにあはぬはもんだいでないのだ。ひとのいのちももんだいでないのだ。わたしは、なんだか、もつとおそろしくおおきいもののためにはしつているのだ。ついてこい!ふいろすとらとす。」
「ああ、あなたはきがくるつたか。それでは、うんとはしるがいい。ひよつとしたら、まにあはぬものでもない。はしるがいい。」
 いうにやおよぶ。まだひはしずまぬ。さいごのしりょくをつくして、めろすははしつた。めろすのあたまは、からつぽだ。なにひとつかんがへていない。ただ、わけのわからぬおおきなちからにひきずられてはしつた。ひは、ゆらゆらちへいせんにぼっし、まさにさいごのいっぺんのざんこうも、きえようとしたとき、めろすはしっぷうのごとくけいじょうにとつにゅうした。
まにあつた。
「まて。そのひとをころしてはならぬ。めろすがかえつてきた。やくそくのとほり、いま、かえつてきた。」とおおごえでけいじょうのぐんしゅうにむかつてさけんだつもりであつたが、のどがつぶれてかれたこえがかすかにでたばかり、ぐんしゅうは、ひとりとしてかれのとうちゃくにきがつかない。すでにはりつけのはしらがたかだかとたてられ、なわをうたれたせりぬんていうすは、じょじょにつりあげられてゆく。めろすはそれをもくげきしてさいごのゆう、せんこく、だくりゅうをおよいだやうにぐんしゅうをかきわけ、かきわけ、
「わたしだ、けいり!ころされるのは、わたしだ。めろすだ。かれをひとじちにしたわたしは、ここにいる!」と、かすれたこえでせいいっぱいにさけびながら、つひにはりつけだいにのぼり、つりあげられてゆくとものりょうあしに、かじりついた。ぐんしゅうは、どよめいた。あつぱれ。ゆるせ、とくちぐちにわめいた。せりぬんていうすのなわは、ほどかれたのである。
「せりぬんていうす。」めろすはめになみだをうかべていつた。「わたしをなぐれ。ちからいっぱいにほほをなぐれ。わたしは、とちゅうでいちど、わるいゆめをみた。きみがもしわたしをなぐつてくれなかつたら、わたしはきみとほうようするしかくさへないのだ。なぐれ。」
 せりぬんていうすは、すべてをさっしたようすでうなずき、けいじょういっぱいになりひびくほどおとたかくめろすのみぎほほをなぐつた。なぐつてからやさしくほほえみ、
「めろす、わたしをなぐれ。おなじくらいおとたかくわたしのほほをなぐれ。わたしはこのみっかのあいだ、たつたいちどだけ、ちらときみをうたがつた。うまれて、はじめてきみをうたがつた。きみがわたしをなぐつてくれなければ、わたしはきみとほうようできない。」
 めろすはうでにうねりをつけてせりぬんていうすのほほをなぐつた。
「ありがたう、ともよ。」ふたりどうじにいひ、ひしとだきあひ、それからうれしなきにおいおいこえをはなつてないた。
 ぐんしゅうのなかからも、きょきのこえがきこえた。ぼうくんでいおにすは、ぐんしゅうのはいごからふたりのさまを、まじまじとみつめていたが、やがてしずかにふたりにちかづき、かおをあからめて、かういつた。
「おまへらののぞみはかなつたぞ。おまへらは、わしのこころにかつたのだ。しんじつとは、けっしてくうきょなもうそうではなかつた。どうか、わしをもなかまにいれてくれまいか。どうか、わしのねがひをききいれて、おまへらのなかまのひとりにしてほしい。」
 どつとぐんしゅうのあいだに、かんせいがおこつた。
「ばんざい、おうさまばんざい。」
 ひとりのしょうじょが、あかのまんとをめろすにささげた。めろすは、まごついた。よきともは、きをきかせておしへてやつた。
「めろす、きみは、まつぱだかぢやないか。はやくそのまんとをきるがいい。このかあいいむすめさんは、めろすのらたいを、みなにみられるのが、たまらなくくちおしいのだ。」
 ゆうしゃは、ひどくせきめんした。

(こでんせつと、しるれるのしから。)

「しんちょう」
しょうわ15ねん5がつ1ひ だい37ねん5ごう