サイト内検索

二流文楽論

織田作之助

 二流文楽論などという、不景気な題をつけたのは、実は私の真意だ。少しは自嘲だが、多くは主張だ。主張は明らかにして置かねばならない。
 かつて文楽は流行した。万葉ばやり法隆寺ばやりお能ばやりと同じ現象が、この落日の最後のあえかな明りのような、大阪の町人芸術に、文化への仲間入りを許したのである。この国では、文化人というものは猫でなければ杓子である。非文化人だけが食わずぎらいなのだ。文化人は食わぬ前から、好いているのだ。見ぬ前から、文楽の「よさ」を認めているのだ。「よさ」という言葉が漠然と意味しているもっともらしいものを、手っ取り早く掴むという文化的修学旅行のために、団体切符を買うのが、この国の文化人であった。彼等にとって急がば廻れとは、古本屋を廻ることであり、実地見学所を廻ることであり、ドサ廻りの文化評論家の意見をきくことであった。彼等は猫も杓子も文化の環状線をぐるぐる廻り、孤独の一本道をひとりトボトボ歩いて行く者はまれであった。この国では、文化とは最大公約数のようなものであり、文化人とはこの公約数で割り切れるという点に於て、大同し、猫と杓子が違う程度の小異しかなかった。そして文章が書けて、ひとが一行しか語れぬ所を十行にも百行にもひきのばして語る術と、ひとと同じことを喋ることを恥としない厚顔と、自分は有名で高級な文化人であるからいかなる問題についても意見を述べることが出来るという自惚れを持っているおかげで、文化の指導者顔をしている所謂文化的名士が、彼等を指導し、彼等の意見を気の利いた言葉でまとめるというのが、昨日にかわらぬ今日の現状だ。かくの如き文化人とかくの如き文化的名士!一篇の文楽芸談と一幕の立見とドサ廻り用美学をもとに、いかに多くの文楽話が語られたことか。考証と聞書の二杯酢につけるほかに、煮ることも焼くことも出来なかった文楽論が、佃煮にするという簡単な調理法で大衆化したのだ。しかし、佃煮の一つ一つが似ているように、何とそれらの文楽論が似たり、寄ったりであったことか。なぜだろう。
 佃煮が東京で流行したように、文楽は大阪でよりも東京で歓迎された。しかし、文楽が東京で受けたのは東京での公演回数がすくないからで、大阪のように毎月の常打小屋があれば、せめて文楽だけは見て置こう、見るなら名人の生きている今のうちだとあわてて駈けつける文化人が、東京にはいかに多くいるとしても、恐らく毎月見に行きはしないだろう。文楽に陶酔している時の快感は、生理的に散髪の快感に似ている。が、同時に文楽の退屈感は、理髪店の待合所で備えつけの官報を見たり、理髪師免状や表彰状を見上げたりしている時の退屈さに似ている。退屈でも、お洒落は毎月欠かせないだろう。頭髪は放って置けば伸びる一方だ。しかし、文化人としての教養のお洒落は、一度見物して置けば、それで一応形がつく。あれが栄三、文五郎、古靭、サワリいいね、三位一体、人形づかいの顔や黒衣が邪魔にならぬ、人形に魂がはいっている、リアリズムとシンボリズムの違い、人形劇こそ最大の舞台芸術だ、思想は古いが、ポール・クローデルもハーゲマンもほめている。文五郎のお園のポーズの美しさ、栄三の方が渋いと云うがなるほどジタバタしないところは貫禄がある。汗びっしょり、声楽家でもあんなに声が続かぬ。人形重いだろう。随分労働だ、激しい修業をするそうだ。生活には恵まれぬらしい。気の毒だね。筋なんか判らなくっても結構見られるよ。妙な声だがあれがいいんだろう。さすがに古靭品があるわ、文楽精神うたれるよ。絵葉書売店で買って帰ろう。まだ一幕あるが三宅周太郎がけなしていたから、見なくてもいいだろう。よし、判った、文楽のよさが判った。−と、帰ると、もうそれで一かどの文楽通らしく文楽を語るのだ。文章にも書く。退屈したが、退屈したとは書かない。喋る時はお転婆娘か悪所通いの男のようでも、書く時は見合写真のように、つつましやかな処女か汚れなき童貞に見える必要がある。古靭よりも南部や伊達太夫の美声の方が気に入ったと書いたり、栄三のよさは判らぬと書いたりすれは、芸術の判らん男と思われるから、古靭と栄三をほめて置く。たちまち文楽論が出来る。出来る筈だ。エノケンとロッパとどちらが高級であるか、あるいは低級であるかという問題について論ずるよりも、栄三の渋さが文五郎の絢爛さよりも芸の品格が高いと言い切る方が、容易なのだ。なぜなら、エノケンとロッパの問題は、人それぞれの好みで判定してもいい問題だし、それに定評というものがないから、すべてみな自分の言葉で語らねばならない。しかし、栄三と文五郎の問題は、あたかも里見ク(とん)の巧妙無類の饒舌的文章も志賀直哉の簡潔な文章にくらべると、芸の品格が落ちるという見方が、既に文壇の動かすべからざる定評であり、これに異を樹てるのは即ち権威への反逆だということになっているのと同様に文五郎の艶っぽい派手さは俗受けで、栄三の渋さこそ入神の名人芸だという定評が既に犯すべからざる権威となっていて、敢て文五郎を立てんとしても、汝未だ文楽を論ずる資格なし、もっと勉強せよと一笑に附されてしまう。一事が万事、さまざまな定説に従って置けばまず間違いなしで、お好みの一品料理よりも定食の方が便利で簡単で充実しているわけであろう。下手に凝って、盲目減法にメニューを指さしたために、デザートとスープだけを註文して笑われるより、定食一点張りの方が恥をかかずに済むというわけではなかろうが、しかし文楽に於けるかずかずの定食とはもはや一種迷信的なものになっているのだ。そして、この定説というものがあるおかげで、文化人は文楽を理解したような気になるのである。人形浄瑠璃芝居とは元来が大阪の庶民と一部の好事家相手の町人芸術であったのだ。けっして文化人の肌に合うものではなかった。それが突然文化人の興味−というより畏敬の対象になったのは、スタンダールのいわゆる結晶作用が起ったためではあるまいか、ただの人形浄瑠璃が「文楽」という観念のヴェールをかぶったのである。はじめに観念があったわけだ。「文楽」というこの観念のおかげで、人形浄瑠璃芝居は美化され理想化されたのである。新興宗教が、奇蹟によって信者を獲得するように、文楽は「文楽」という最上級の観念によって信者を獲得した。文化人は奇蹟に対しては疑惑的だ。しかし、奇蹟の具体性を最上級の観念の抽象性に代置すれは、もはや文化人は最も狂熱的な信者になり得るのである。宗教の名に於ては狂信しないが、芸術の名に於ては狂信するのである。即ち、彼等は文楽を最上級の芸術と見たのである。
 そして、これらの信者の先頭に立ったのはいわゆる文楽教の使徒たる文楽研究家たちであり、彼等の書いた一流文楽論は文楽の福音書であった。私の二流文楽論はことの成行としてそれらの一流文楽論への一種の疑義である。

 一流文楽論とは、一流の論者が文楽が一流芸術である所以を強調するために、あるいはそれを前提として、文楽の一流芸人を語ったものである。かつて文楽について書かれた文章はすべてそれであった。文楽を語るとは即ち、団平、玉造、長門、大掾、津、古靭、土佐、栄三、文五郎等のいわゆる名人、恵まれざる文楽の人たちの中で最も恵まれた人たちを語ることであった。しかし、私は今、これらの恵まれた人たちのかげに埋もれて、一生パッとしたところもなく、下積みの生活、縁の下の力持ちの境遇に甘んじてきた人たち、甘んじている人たち、今後も甘んじて行くであろう人たちのことを、ポソポソと不景気な声で語ろうと思う。いわゆる一流主義に対する二流主義、英雄主義に対する凡俗主義、それがこの二流文楽論なのである。語られる人もいわゆる二流だが、語る私も二流だ。文楽が二流芸術である所以を説明するために、あるいはそれを前提として、二流論者が二流芸人を語るあわれな二流文楽論なのだ。
 ここまで書いた時「文楽の人」というささやかな本が東京から送られて来た。実は私の著書なのだ。昭和十七年の末に書いたものだが当時出版を許可されず。最近やっと上梓の機を得たものである。「文楽の人」は当時一流文楽論の信者であった私が、栄三、文五郎の評伝を小説風に書いたものだけに誇張と迷信が各頁に氾濫しているとはいうものの、既に二流文楽論の萌芽が感じられぬわけでもない。しかし、私は文楽を二流だと主張することによって、文楽を軽蔑しようという気持はない。私はただ自分の誤謬を訂正したいと思うだけだ。訂正するつもりが、かえって誤謬を重ねることになるかも知れない。誇張を避けることが、反動的にさらに私を誇張させるという結果も予想される。しかし誇張と誤謬を避けて、いかなる芸術論が成立するだろうか。こんな場所へ、ヴァレリーの、しかも、これまでたびたび私が引用して来た言葉を利用するのは、芸のない話だが、便利だから阿呆の一つ覚えに使えば「われわれは一つの誇張乃至気取りを避けるためには、他の誇張乃至気取りに陥らざるを得ない」のだ。そしてスタンダールを皮肉ったヴァレリーのこの言葉すら、既に誇張乃至気取りを含んでいると思えば、もはや私は毒を以て毒を制するよりほかに仕方がない。そして、私は毒を薄めて使うほど賢明でないから、今はもうはっきりと言うが、文楽が二流芸術であると同様に、この国の文学もまた二流である。すべて二流だ。
 無論、一流という言葉にも、ピンからキリまでさまざまな意味はある。例えば、かつて東京に一流会という社交団体があって、将棋の木村名人はその会員であったときいている。一流会の会員になるには一流人物であるという資格が必要だったから、会員の木村名人は自他共に一流人物だと認めたわけであろう。木村名人は人と雑談している最中に、話の順序とは関係なしに、突如として「何といっても将棋ではおれが一番強いんだから……」と言う癖があるそうで恐れ入る外はないが、しかしこの名人も最近大阪のある新聞で企画した升田七段との五番試合で、まだ三十歳になるやならずの升田青年に香落、平手の二局を続けざまに破られて、続く第三局は狼狙した将棋大成会の方で予定通り打つべきか見合わすべきかと目下考慮中だという噂がまことしやかに伝えられているところを見ると、名人の日本一も、大分怪しくなって来た。升田七段はその対局のことで、新聞社へ現れた時、社の人たちは復員闇屋が来たと思ったくらい、みすぼらしい影の薄い印象を与えたそうだが、このショボショボした青年が七段にして名人以上の棋力を備えていたのである。しかし、棋力は名人以上でも、いわゆる一流人物として、即ち一流会の会員たるの資格の点から見て、升田が木村の上位にあるとは、いかな私でも断言できない。升田七段は雑談中共産党をどう思うかと質問された時、「共産党は将棋が流行している間は、あきまへんな。将棋は王将を大事にするもんやさかい」と、異色ある返答をしたというが、しかし、この独創的な言葉も、社会的に一流の資格を与えられるかどうかという点では、升田七段にとって遂にマイナス以上に出ない言葉である。そして、そういう意味に於ては、この国の作家たちはすべて一流の資格を持っている。数多い専門棋士の中でも、一流の資格を持っているのは、わずかに木村名人ひとりだというのに、作家たちはいとも簡単に一流になっているのである。この国で名士になるには、作家になるのが一番の早道だ。升田七段のような天恵の才能を待ったいわゆる天才は百年に一人しか出ないが、しかし、一年に数人ずつ文壇へ送り出される作家たちは一寸小説を書くすべを知っているというだけで、またたく間に名士になり、その心掛け次第で社会的に一流たり得るのである。しかも、彼等は将棋の三段ほどの天恵の才能を持っていないのである。
 思えば、この国では一流作家が多すぎる。しかし、彼等は社会的には一流かも知れないが、文学的には全部二流なのである。そして絶対に一流たり得ないのだ。われわれは文学文学という時、つねに一流文学の観念を、念頭に置いている。文学とは即ち一流文学である。つまり最上級の文学へのノスタルジアで文学を論じ、作品を作っているのである。宗教家が最上級の観念としてのキリストへのノスタルジアを持っているように、作家は最上級の観念として一流文学を持っている。しかし、いかなる宗教家もキリストになれないように、いかなる作家もおいそれと一流作家になれるわけではない。ゲーテやトルストイやドストイエフスキイやスタンダールは、千年に一人の天才なのである。この国の作家たちはすぐ天才扱いをされるけれど、彼等の天才ぶりは将棋の升田七段にも及ばない。彼等が真に天才ならば、ゲーテ、トルストイに匹敵する一流文学が作れる筈だ。しかし、彼等にとって一流文学とは遂にノスタルジアに止るのである。観念として持っていても、遂にそれを実践することは出来ない。天は彼等に一流文学を作り得るほどの才能を与えていないのである。彼等が与えられたのは、一流文学へのノスタルジアを抱きながら、せっせと二流文学を作るという程度の才能でしかない。逆立ちしたって、一流文学は作れないのだ。まごう方なく二流作家である。彼等がこの国で一流作家として通っているのは、彼等が二流たることを自覚して、われ二流なりと言い切らないからである。一流という言葉がこの国でどんな卑俗な意味に使われているにせよ、既に彼等の文学を二流の地位に引き下げるほどの一流文学を古典として持っている以上、いち早く一流作家という肩書を返上して、二流たることを宣言すべきではあるまいか。
 もっとも、彼等は文学の道に足を踏み入れた時、既に一流文学としての文学観念をノスタルジアとして持っていて、それにひきずられて文学者たらんとする悲壮なる覚悟を抱き、一流文学の真似事をして来たのであるから、今日に及んで二流たることを宣言することは、キリストを裏切って異端者にならんとするほどの苦痛を感ずるに達いない。エピゴーネンでもいいから、一流文学としての文学の観念へのノスタルジアを抱きつつ、その真似事をすることによって二流文学たることのそしりからまぬがれようと思うのも、無理はない。批評家(専門の批評家、作家兼批評家、読者、作家の中に棲んでいる批評家のすべてをひっくるめて)というものは、宗教家がキリストの名に於て口を利くように、批評家自身の観念として持っている一流文学としての文学の名に於て、彼等の二流文学を批評するからである。そして、彼等がこの国の作家たちの二流文学を、一流文学でないという理由で、あるいはこきおろし、あるいは慨嘆することは、大いにもっともであり、一応正しい批評精神のあらわれであろう。しかし、絶対に一流たり得ないこの国の作家たちを、一流でないという理由でこきおろすのも、考えてみれば二階から目薬に似たようなものだ。しかも、批評家自身けっして一流ではあり得ないのだ。批評家は一流文学を勉強し、一流文学としての文学の観念を抱き、その名に於て批評しているおかげで、自分自身を一流だと錯覚しているかも知れないが、二流文学をやっつけたからとて、彼自身一流たるとは限らない。この国の批評家の多くは、二流文学をつくる才能すらない許りに、批評家に転向した、いわば二流作家になり損いの二流評論家なのである。思えばこの国の文壇は、二流評論家が絶対に一流になり得ない二流作家の作品を、一流でないという理由で慨いているという現状を、当分続けて行くだろうと、言えぬこともない。

 一流たり得ないとは、実にわれわれが生れながらにして背負っている宿命なのだ。してみれば、われわれはもはや一流文学の真似事で自分をカムフラージュせず、二流文学者として徹することに、新しい道を見出すほかはないと、私は独断する。ジェームス・ジョイスの「ユリシーズ」やケストネルの「ファビァン」、ジャン・ポール・サルトルの「水いらず」 「反吐」など新しい文学は、明らかにいわゆる一流文学としての文学の観念への反逆であり、彼等が二流文学の選手たらんとしたからこそ、新しいスタイルが生れたのではあるまいか。一流文学へのノスタルジアを断ち切らぬ限り、このような新しい文学は作れぬのである。彼等はすくなくともエピゴーネンではない。エピゴーネンとは、一流の模倣しか出来ぬ、しかも二流に徹し得ない自分を一流と思い込んでいる二流の謂だ。現代アメリカの作家中で、すくなくとも私を最も感心させたヘミングウェイの作品なども、一流文学の模倣でないところにその面白さがある。この国には一流文学へのノスタルジアを、自然主義的私小説に見出している律義者がいるけれども、批評家が同じノスタルジアでかくの如き律義者を文学の名に於て推賞している限り、新しいスタイルの出現は永久にはばまれるかも知れない。しかし、その障害を飛び越えて行くのが二流に徹した二流作家である。
 太宰治、坂口安吾に私が誰よりも期待するのは、この点である。彼等の新しさはすくなくとも二流に徹した新しさである。ある仏文学者が、荷風の如き大家が為永春水の如き戯作者を模倣するのはなげかわしいと言っていた。私はなげかわしいとは思わなかったが、不思議には思ったこともある。しかし、荷風の如く西欧の一流文学に親んで来た作家が、突如として春水を師と仰いだのは、荷風は荷風たりに二流作家に徹しようとした発願の現れではなかろうか。荷風は二流作家としての自己の道を見出したが、しかし、それが江戸時代への逆行であっただけに、新しさはあり得なかった。しかし、一流を模倣して遂に一流たり得なかった島崎藤村のにせ一流ぶりよりも、私は荷風の二流ぶりに賛成したい気がする。一流ぶりと二流ぶりの混乱した例は高見順である。高見順は作品の題名をすべて詩歌から取るというところに、まず一流ぶりと二流ぶりの混乱を示している。この題名の点では、たとえば通俗作家がせめて題名の点だけでも、文豪の詩や聖書からひき抜いて来るという堕落へのカムフラージュよりも、高見順の作品が通俗小説でないだけに滑稽感がすくないが、「わが魂の告白」は彼の一流ぶりである。この一流ぶりは、果して好評を博したが、二回三回とつづいているうちに、早くも二流の馬脚を現わした。しかし、私はこの馬脚を彼の二流ぶりがキラキラ現われたものとして、面白いと見ている。「わが魂の告白」をライフワークなどと一流ぶらないで、しどろもどろの弁解や、四方八方への気兼ねに二流の真髄を発揮すべきではあるまいか。どうせ、筆舌には出せず、胸の底に秘めて置かねばならないこともあるという自伝的告白であってみれば、一流ぶりも限度があり、借物のスタイルを自家の薬籠に入れた饒舌体の二流ぶりに徹する方が、よしんば彼を大家にすることをさまたげるとしても、新しい二流文学のためには意義があろう。描写のうしろに寝ていられないスタイルのデカダン化こそ、二流の自覚なのであり、それが一流と対決するのではあるまいか。二流は二流としての主張を持つべきであり、二流を一流めかして粉飾してはならない。しかし、舟橋聖一は一流ぶりからのデカダンスとしての二流に落ちながら、二流文学としての主義を忘れた点に、いかがわしい海千山千があり、二流文学の俗化である。二流文学もまた高貴ある文学であり、新しい文学運動の気配が、二流文学への献身から生れんとしつつあるとはサルトル等の新興フランス文学を読んでも判るのである。かつての新感覚派、ダダイズム、新心理主義、形式主義などは何れも二流文学としての新しさであったが、これらの文学運動の選手たちは、何れも一流の奥床しい魅力に屈服してしまったのだ。文学の運命を悲壮に説いた北原武夫は、彼の作品に運命が感じられず − 思えば、誰もかれも二流であることを隠したがる。二流であることは佗しいことには違いない。芸術家にとって、自分達の芸術が二流であると自覚するほど悲しいことはない。しかし、芸術とは神への挑戦である。神がつくった自然とはべつに、第二の自然をつくろうというこの大それた仕事の才能が誰にも与えられるわけではない。作家としてのモラリッシュ・ポーズから、二流であることを隠し、殊勝な顔をしてミューズの祭壇に祈りを捧げれば、ミューズは喜ぶだろうが、しかし女神というものはつねに取巻き連に対しては冷酷なのである。一流扱いをされて閉口している文楽の人たちの方が、文壇の人たちよりもはるかに正直ではあるまいか。

 文楽の人たちは文楽を一流芸術だとは思っていないのだ。まして自分たちを一流の芸術家とは思っていない。この人たちは何れも大阪の市井の俗人に過ぎない。名士になろうという野心もない。大きな邸宅など構えて、一流人らしく収まりかえったりするような真似は出来ない。「号外」を「ボウガイ」と言って、人に指摘されると、「なんや一字だけの間違いやないか」と言う。自分の住んでいる家の所番地も言えない人間も文楽にはいるのだ。「土佐は賢こすぎる。古靭は学者すぎる。津太夫は阿呆すぎる」と言った人があるが、土佐、古靭を除いて、津太夫を筆頭にみな阿呆であった。誰かが秋声を無学文盲と評したが、どこか秋声と似かよう津太夫は紋下までなりながら、一流人の面影はなかった。一介の市井人であった。寄席芸人とそう違ったくらしはしていないのだ。いや、彼等の見物である大阪の庶民が住むような家に、彼等も住んで、同じ銭湯にはいっている。長屋ぐらしもしている。自分が無学文盲なので、学問の出来る女房を貰えば、賢こい子供が出来るだろうと思って、貰ったのが小学校の女教員だったという人もいる。みんなその程度の考え方なのだ。そして一生うだつが上らず、ショボショボと下積みの芸人としての一生を文楽と共に送るのが、彼等の大半である。ある人は五十年間足だけしか使えなかった。ある人は一生口上使で終ってしまった。ある人は人形の修理で一生を終った。ある人は大序のままで終り、ついに拍手の来るサワリを語る機会がなかった。そして、このような真の二流の人がなければ、文楽というものは興行できないばかりでなく、文楽というものを代表しているのは、実にこうした真の二流の人たちなのである。名人がなくなれば文楽は亡びると思われている。私も一時は迷信的にそう感じたが、名人がいなくなった文楽は、恐らく場末の二流芸術として生き残り、わびしい、卑俗な、二流の芸を、庶民相手に見せながら、文楽というものが結局小市民の二流の芸術であったという点を明らかにするのではあるまいか。そして、その時こそ、文楽の忘れられていた魅力が改めて甦るのではなかろうか。
 以上述べたところは、前書きだ、次にはそれらの二流文楽人のことを語りながら、以上述べたところを敷衍するつもりである。

「二流文楽論」
初出:昭和21年10月 『改造』
栄三
吉田栄三[初世]よしだえいざ 1872-1945
大正−昭和前期の文楽人形遣い 大阪生まれ。
文五郎
吉田文五郎[四世]よしだぶんごろう 1869-1962
大正−昭和期の文楽人形遣い 大阪生まれ。
古靱
豊竹古靱太夫[二世]とよたけこうつぼだゆう 1878-1967
明治−昭和期の義太夫節の太夫 東京生まれ。
後の豊竹山城少掾(とよたけやましろのしょうじょう)
ポール・クローデル
Paul Claudel 1868-1955
詩人、エッセイスト、劇作家 フランス ヴィルヌーブ・シュル・フェール生まれ。
姉は彫刻家カミーユ・クローデル。
文楽
本来、明治5年「官許人形浄瑠璃文楽座」の看板を掲げた文楽座での人形浄瑠璃を指すことばで、文楽座のレベルの高さから、芸術性の高低を含め他の人形浄瑠璃と区別することば。
人形浄瑠璃
浄瑠璃と三味線の演奏に合わせ、人形遣いが操る人形が演じる日本固有の人形芝居。
ヴァレリー
Ambroise-Paul-
Toussaint-Jules Valéry
 1871-1945
詩人 評論家 思想家 フランス セット生まれ。
木村名人
木村義雄 きむら よしお 1905-1986
大正−昭和期の将棋棋士 東京生まれ。
昭和12年短期実力名人制の初代名人となり、以後連続5期をふくむ、計8期名人位に就く。関根金次郎門下。永世14世名人。
升田七段
升田幸三 ますだ こうぞう 1918-1991
昭和期の将棋棋士 広島県生まれ。
昭和22年8段。27年第1期王将。32年名人位獲得、9段。
荷風
永井荷風 ながい かふう 1879-1959
明治−昭和期の小説家 東京生まれ。
為永春水[初代]
ためながしゅんすい 1790-1844
江戸時代後期の戯作者 江戸生まれ。
秋声
徳田秋声 とくだしゅうせい 1872-1943
明治−昭和前期の小説家 金沢市生れ。

つゆは大阪 2

2008年6月号 梅雨の時期、最高のディスティネーション

Yahoo! カテゴリ掲載サイトです

旅行、観光 > 旅のノウハウ

つゆは大阪

沖縄、北海道を越える梅雨最高のディストネーション

味園フロントに泊まる

梅雨の大阪観光の拠点は、なんば・千日前

なんば傘無し観光案内

なんば・ミナミの観光スポットを傘のいらない度だけで格付け

ショー三昧千日前

6月の文楽鑑賞教室、NGK、B1角座…

晴れたら行く大阪名所

梅雨入りしても、毎日雨が降るわけではありません。

なんばで買う 生みやげ

なるべく、本日中にお召し上がりください。

大阪のプロフィール

日本の中の大阪の位置、大阪都市情報、地下鉄路線図